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このページでは、
- サラリーマン社会どっぷり人間がネットビジネスを始めたきっかけ
- ネットビジネスの師匠とのラッキーな出会い
- “働き方”に対する価値観が完全に覆った話
- 副業なのに1日15万円や月収70万円を稼いだ話
- ネットビジネスについて家族の理解を得るという難題をどうやってクリアしたのか
- 時代をうまく利用すれば、自分の可能性が大きく広がる話
といったことをお話ししてきます。
子育てサラリーマンの覚悟
はじめまして、ひろはると申します。
ぼくは会社員として働きながら、複業でネットビジネスに取り組んでいます。
(※副業という表現が多いかと思いますが、ぼくは会社の仕事もネットビジネスも両方同じくらい大事だと思っているので、あえて“複業”という表現を使っています)
ネットビジネスを始めてから2年ほど経ちますが、月に70万円稼ぐなど会社の給料を上回ることも出てきました。
たった2年で10年以上働いた会社の給料を上回ってしまうという、自分の中のちっぽけな価値観がぶっ壊れるような体験をしながらここまでやってきました。
現在は、
- 信頼&尊敬しまくっているネットビジネスの師匠に師事
- 師匠が主催する同じ志を持った仲間が集まるコミュニティに参加
という環境で、基本的には「文章×ネット」のスキルを駆使しながら、ネットビジネスに取り組んでいます。
これまであるジャンルに特化したブログを手掛けて実績を残してきましたが、最近では違うジャンルのブログに取り掛かったり、自分が主体になって手掛けるコンテンツ販売の準備を始めるなど、ネットビジネスで稼げる可能性を広げるためにいろんな取り組みを始めています。
会社では管理職として働きながら、月の半分は海外出張、さらに週末は取引先と接待ゴルフが入ることも多く、それなりに毎日バタバタやっています。
本業の会社の仕事だけやっていたときに比べて、圧倒的に自由な時間は少なくなりました。
ただ、それ以上に得るものが大きいからここまで続けてこられました。
金銭面では、会社の給料にネットビジネス収入が加わることで、間違いなく気持ちの面で余裕が生まれました。
すごく細かい話ですが、例えば外食しに行ってメニューを見たときに、これまでは値段を見て、
「食べたいけど、これだとちょっと贅沢だよな。エンゲル係数も気になるしな…。やっぱり、ちょっと安いこっちにしよう」
などと我慢することが多かったのですが、そういうことがまったくなくなりました。
「せっかく食べに来ているのだから、自分が一番食べたいものを食べないとかえって損だよな」
という考え方に完全に切り替わりました。
自分の中で“美味しいものを食べる”とか“その場を有意義に使う”という時間や経験を得ることが金銭面の損得を上回る状況になったんです。
この発想の転換は、ネットビジネスを始める前の自分からは想像もできないことでした。
発想の転換によって、将来設計も大きく変わりました。
これまでは人生設計なんてまともに考えたこともなく、漫然としか将来を考えていなかったのですが、ネットビジネスに取り組むことで、いろんな将来の可能性を具体的に描けるようになりました。
その実現のためにも、ぼくはいまが人生の大勝負のタイミングだと思っています。
その土台となるのが、会社+複業といういまの収入スタイルです。
浮き沈みが激しいけど、一気に稼げるタイミングが来るネットビジネスと毎月安定した給料が入ってくる会社を組み合わせる働き方がしっくりきているので、しばらくはこのやり方でやっていこうと思っています。
プライベートな話になりますが、ぼくの家族は共働きの妻と子供の3人暮らしです。
その子供がちょうど2歳なので、ネットビジネスをはじめたのと子供が産まれたタイミングがほぼ同じなんです。
なので、会社の仕事だけでなく、子育てと家事も掛け持ちしながらネットビジネスに取り組んできました。
共働きなので、もちろん家事もまったく気を抜けません。
自分でいうのもどうかと思いますが、正直ネットビジネスに取り組む環境としては恵まれている方ではないと思っています。
たまに「マジできつ…」とか「もうこんな状態逃げ出したいっ!!」と思うときもあります。
ただ、会社の仕事で世界を回りいろんな取引先と契約を成立させるのは楽しいし、子供のかわいさにかなうものなんてなので子供と過ごす時間は絶対に削りたくないと思っているし、だけどそんな中でも収入源は増やしておきたい。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」なんて言いますが、ぼくは「三兎を追って三兎を得たい」と思ってやってきました。
「何としてでもネットビジネスで成功したい!」
ぼくはいまその途上にいます。
いまでこそネットビジネスで月70万円を稼ぐぼくですが、挫折を繰り返しながらここまでやってきました。
そもそもぼくは
- 基本ずぼらでめんどくさがり
- 物事を計画立ててやるの苦手、基本出たとこ勝負
- 完全無欠の文系人間、パソコンもはっきり言って苦手
な人間だし、稼げるようになったのは、ある意味奇跡かもしれません。
そんな奇跡は、信頼できるネットビジネスの師匠にテクニック、マインド両面から支えてもらったこと、その師匠が主催するコミュニティの仲間にいろんな刺激をもらってきたから起きたことだと思っています。
会社以外の手段、しかも自分のスキルで稼げるようになると、はっきり言って住む世界が違って見えてきます。
いろんな可能性が見えてきて、将来やりたいことの幅が段違いに広がります。
会社員という立場でしか将来を考えなかった自分からは想像もできないようなことをいまは実現したいと思うようになれるようになりました。
ただ、そんなぼくも2年ちょっと前まではネットビジネスなんて全く知らない人間でした。
「何となく怪しい、うさんくさい、ネットに出ている情報なんてどうせうそでしょ」
くらいなイメージで、まったく関心がなかったサラリーマンでした。
共働きの嫁さんもサラリーマン社会しか知らない人間だったので、同じような感覚だったと思います。
そんなぼくがいきなりネットビジネスにのめり込んだのは、なんと嫁さんが初めての子供を妊娠、そして出産するというタイミングだったんです。
(もちろん家族を守るために何が必要か、自分としては考え抜いた上で始めたんですが…)
仕事って会社でも同じだと思いますが、やっぱり家族の理解を得られていることが大前提ですよね?
家族の理解を得られているからこそ、自分が仕事を頑張ることでどんな将来を過ごしたいのか、そんな未来像を描くことができます。
いまでこそ冷静にこんなこと語っているぼくですが、ネットビジネスを始めたころはなかなか結果が出ず、そんな中で稼がなければならないというプレッシャーにさいなまれ、家族のことを無意識に蔑ろにしてしまっていたときがありました。
本来の目的を見失うほど、自分のことで精一杯になって余裕がなくなってしまっていたんです。
ときにはそれが原因で夫婦喧嘩に発展することも…
ネットビジネスに没頭すればするほど嫁さんとうまくいかなくなり、
「自分は何のためにこんなことやっているんだ…」
と葛藤した時期もありました。
でも、いまはそんな嫁さんが、
「私もブログやって稼いでみたい!!」
とまで言ってくれるようになり、嫁さんと新しいブログを一緒に運営していくための準備をするところまで状況は変わりました。
ネットビジネスを始めたころでは考えられないようなことが起きたんです。
一体どうやってそんな変化が可能になったのか。
ここではぼく自身やネットビジネスの軌跡、家族の理解を得られるまでの葛藤、そんなことをお話していきます。
これからネットビジネスやっていきたい、と思っている方やネットビジネスを始めたのになかなか結果が出ないと悩んでいる方に、ご自身の将来を重ねながら読んでいただけたら嬉しいです。
世間知らずのバカな学生時代
まず、ぼくのことを知っていただくために、ちょっとだけこれまでの生き方を紹介させてください。
ぼくは両親ともに銀行員の家庭に生まれ、高校までは地元の公立、大学は東京の私立大学に通いました。
ちなみに嫁さんの両親も銀行員、嫁さんも銀行員と、まわりは銀行員だらけです(笑)
大学時代はバイトもしていましたが、実家から家賃を簡単に超えるような仕送りをしてもらっていたので、軽い小遣い稼ぎくらいのつもりでしか働いていませんでしたね。
生活にひっ迫感なんてまったくありませんでした。
なので、バイクや自転車が趣味で、友達とツーリングに行ったり、国内外問わず旅行三昧、これ以上ないくらい楽しい学生生活でした。
お金では買えない思い出もいっぱいでき、本当に両親には何不自由なく学生生活を過ごさせてもらいました。
ただ、親にとって子供にそうさせることがどれだけ大変なことなのか、当時はまったく知ることもなく、言い方は悪いですが、「当たり前」くらいに思っていました。
今は多少なりとも世間のことを知っているので、そんな親ばかりではないし、それがどれだけ恵まれていることなのか、というのはすごく身に染みてわかります。
ですが、当時の自分はそんなことを考えもせずに、
「自分が勉強して入ったんだから、その時間をどう使おうと自分の勝手でしょ」
くらいに思っている本当に世間知らずのバカでした。
後に父親に聞いた話ですが、父親は学生時代に父親(僕からすると祖父)を亡くしてお金に苦労した学生時代だったので、
「自分の子供には苦労をかけたくなかった、だからできるかぎりのことはしたい」
そんな思いからやってくれていたそうです。
月並みですが、自分が子供を持ったことで、親のありがたみやすごさをいまさらながら本当に感じますね。
自分が子供に同じことをしてあげることを想像したら、どれだけ親が大変な思いをしてきたのか、それがものすごく現実感を伴って感じることができます。
初めてお金の価値を知る
学生時代を思う存分楽しんだ私は、両親から送ってもらったお金と自分がバイトでためたお金をある程度使ってしまった状態で就職活動に入ります。
ぼくはテレビ局や新聞社、出版社といったマスコミ関係の仕事に興味があったので、都内だけでなく地方も含めて広く受けました。
ところが、ときは就職氷河期真っ只中、受けても受けてもなかなか内定までこぎつけることができず、地方にも遠征することになります。
そうこうしているうちにお金も底をつき始め、これまで新幹線で行っていた地方も夜行バスで行って朝ついてそこで時間をつぶした後に試験を受け、その日のうちにまた夜行バスで帰るというような超節約モードで就職活動を続けました。
そんなこんなでやっと決まったのは、東京都内の出版社。
ただ、その頃には完全に手持ちの貯金が底をつき、なんと家賃が払えない状況になっていたのです。
さすがにさんざんよくしてもらった両親にはそんなことは言えず、散々悩んだ結果、叔母にお金を借りることになりました。
叔母も
「両親には言わないでおくからね」
と言ってくれましたが、本当にみじめな思いをするのと同時にお金のありがたさを思い知らされる、人生初めての経験になりました。
この経験が、少しでも稼げる可能性があるのであれば、難しいタイミングであってもネットビジネスを始めるという、後の行動のきっかけにもなりました。
ただ、それはかなり先の話になります。
昭和の価値観に縛られてきた人間だった
そんなこんなで入った会社ですが、就職活動のときには、会社に就職し、その会社で一生勤め上げ、その間に結婚して子供を育て、退職したらわずかな老後を楽しんで人生終了、もやっとした将来しか頭にありませんでした。
なので、どれだけ手持ちのお金が減っていっても就職活動をやめようとはしなかったし、それ以外の道なんて頭の片隅にもありませんでしたね。
会社で働く以外に稼げる道があるかも、なんて想像したこともありませんでした。
もちろん当時と今では働き方もだいぶ変わってきているし、ネットビジネスを取り巻く環境、さらにSNSなどを通して入って来る情報も段違いです。
ただ、当時の自分がいまの大学生になったとしても、たぶん変わらなかっただろうな、と思います。
そんなぼくなので、実際就職してからも思考停止のまま、どっぷりサラリーマン社会に浸って働くことになります。
サラリーマン社会は、言い換えれば、組織の中に自分をいかに埋没させ、会社にとって都合のいい人間になれるか、それが生き残っていく最善の道です。
もちろん個人の能力が大前提にはなりますが、すべては組織の中でどう折り合いをつけられるか、その調整力とバランス感覚こそが求められる社会です。
プレーヤー時代はもちろん、管理職になると、そういう人間こそが会社に求められる現実を嫌というほど味わわされます。
ただ、言い方を変えれば、自分をうまいこと組織に埋没させ、毎日をその中にゆだねることができれば、心地いい場所にもなります。
会社に入ってからのぼくは、その心地よさに身をゆだねながら、それなりの生活で定年までいければいいな、みたいな漠然とした思いの中で日々仕事をしてきました。
仕事は楽しいけど…
もちろん心地いいというからには、仕事の楽しさもありましたね。
出版社なのでいろんな雑誌を作るのは楽しいし、営業職ではありますが、多くの著名人や有名人にも取材というかたちで会って話をすることができました。
大企業のトップに上り詰めた人の言葉には重みがあるし、話していてやっぱりすごみを感じさせる人が多いですね。
スーパーセレブで親類がノーベル賞の授賞者で受賞式に出かけた人がいたり、退社後に某ネット業界の巨人企業の役員に上り詰めた人がいたり、会社の中にも面白い人間が多いので日々、吸収できることも多いです。
ぼく自身、多少英語も使えるので海外出張も多くこれまでに50カ国以上は訪問、いろんな人と出会いながら商売をやってきました。
ぼくはゴルフが趣味なんですが、海外では接待ゴルフもしょっちゅうあるので、あのタイガーウッズ選手らが回った世界で何本の指に入るようなゴルフ場をプレーできたり、なかなかできない経験もたくさんしてきました。
中東やアフリカのマイナーな国などプライベートではまず訪れることのないような国にも足を運ぶことができました。
アフリカでは、気温45度も体験できたし、先進国にいたら絶対に見られないようなタイムスリップしたような風景もみることができました。
ぼくはわりとメリハリが好きなので、ただ海外に遊びに行くよりも、きつい仕事が終わった後の解放感の中で、海外のいろんな景色を見るのがたまらないですね。
こうした経験をさせてもらえた会社には感謝しているし、それを売上というかたちで還元してきた自負もあります。
ただ、こうした会社の仕事とは別にプライベートでは別の戦いがありました。
終わりの見えない不妊治療
ぼくと嫁さんは結婚したときに子供がほしいという思いが同じだったので、結婚後しばらくしたら子供ができて、親子そろっていろんなところに遊びに行ったりする、そんな未来を描いていました。
ところが、1年たち、2年経っても子供ができず、嫁さんと少しずつ違和感を感じるようになります。
2人で出かけると楽しいけど、出かけた先で親子連れをみると、何となくお互い気まずい空気になるようになってきました。
「何かが足りない…」
お互い言いたいけど言えない微妙な関係が続きましたが、ある時どちらともなく気持ちをもらすことがあって、それが元で不妊治療に取り組むことを決めました。
ただ、それからがホントに長かったですね…
子供はいま2歳になっていますが、不妊治療は6年にも及びました。
もちろん事前にどれだけ大変か調べましたし、経験者からも話を聞いていたので、それなりに覚悟はしていました。
ただ、不妊治療って本当にやった本人たちにしかわからない苦労がありますね。
治療にはいろんなステップがあって、それに応じて身体的な負担、経済的な負担が増していくイメージです。
毎月ほぼ決まった時期に嫁さんに身体の状況を確認するんですが、変化がなければ言い方は良くないですが、失敗です。
自分の身体で直に感じる嫁さんが一番つらいのはもちろんですが、その事実に向き合わなければいけない時間、それはお互いにとって本当に辛いことでした。
残念な結果を知った嫁さんから海外出張先に連絡が入り、お互いなんとか乗り切ろうと電話で話し合ったこともありました。
そんなことを延々と繰り返すわけです。
特に嫁さんの側に負担が大きく、仕事しながら病院に通うのは本当に大変だったと思いますね。
さらに、金銭感覚がマヒするくらい、お金がホントに紙きれかってくらいどんどん飛んでいきましたね。
なのに期待しては裏切られの繰り返しだし、妊娠に効果があると聞いたものはそれこそ手当たり次第に試してみましたが、何をしても結果が出ない。
一体どうすれば結果が出るのか、完全に袋小路に迷い込んだような状態が続きました。
ネットビジネスで結果が出ないくらいのことはこのときの経験に比べれば屁でもないくらい、きつい日々でしたね。
そんな苦労を経てやっと授かったのがわかったのが、2017年5月、ネットビジネスと出会う3カ月くらい前でした。
仕事中に電話で嫁さんが泣きながら妊娠の報告をしてくれたとき、会社の会議室で一人ガッツポーズをしたのをいまでもはっきり覚えています。
こうやって授かった子供だからこそ、
「生まれてくる子供のためにできることなら何でもしたい」
ガッツポーズをした後に、そんな決意をしました。
そして、嫁さんがつわりとかで大変な姿をみるたびに、ぼくの中に新しい家族を持つという責任が芽生えていきました。
ネットビジネスとの出会い
嫁さんと苦労の果てにやっとつかんだ妊娠。
「嫁さんがこれだけ大変な思いをして産まれてくる子供を必死で育てているのに、自分はただ今まで通り淡々と会社で仕事をこなしているだけ、本当にそれでいいんだろうか」
と責任感が芽生えると同時にそんな焦りも感じ始めました。
悶々とした気持ちを抱きながら、日々生活している中であるとき光が差し込みます。
のちにネットビジネスの師匠となるGさんを紹介してくれることになる地元の友人Aとの再会がそのきっかけになりました。
友人Aとは、小学校時代に野球スポーツ少年団でピッチャーとキャッチャーとしてバッテリーを組んでいた関係でした。
ただ、大学時代からは疎遠になり、facebookを通してたまたま隣町に住んでいることがわかり、私の方から声をかけたことで再会が実現しました。
もちろん再会の時は昔話で盛り上がったし、ホントに楽しい時間でした。
ただ、待ち合わせの居酒屋に着いたとき、先着していた友人Aがすごく熱心にパソコンで作業していたのが気になり、「会社の仕事が忙しいのかな?」と思って何となく聞いてみたら、
「ブログに取り組んでいて、実は結構稼いでいるんだよ。面白いからやってみる?」
とのことでした。
当時のぼくはブログの“ブ”の字も知らないくらいで、ネットビジネスに全く関心もなかったし、わりと疑り深い(笑)ぼくは、「友人Aがネットという闇の中で何かに騙されているのでは?」という思いもよぎりました。
とはいえ、友人Aとの共通の話題にもなるし、「何か新しいことをやってみるのも楽しいかな」くらいなわりと軽い気持ちで前向きな返事をしました。
ただ、その日自宅に帰ったぼくは、
「産まれる子供のためにも、大変な思いをしている嫁さんのためにも何かしなければいけない。ひょっとして、ブログというものがいまの状況を打開できる糸口になるかもしれない」
という思いに切り替わりました。
そして、その友人Aともう一度会った8月くらいにはある程度自分の中でもうネットビジネスをやるという覚悟ができていました。
なので、その場で具体的な相談をして、ぼくは友人Aのネットビジネスの師匠であるMさんという方がオンラインで提供していたネットビジネスの教材をひたすら勉強するという日々を送ることになります。
そうこうしているうち、12月にはついに子供が産まれました。
師匠のGさんとの出会い
ぼくがネットビジネスをやる上で、これ以上ないラッキーだったのが、ネットビジネスの師匠であるGさんとこれ以上ないタイミングで出会ったことです。
友人Aと一緒にまっしーさんという方の元で学んでいたGさんが自身のブログで結果を出し、ちょうどコンサルを始めようとしていたときで、なんと友人AからそのGさんを紹介してもらえることになったんです。
Gさんはこのときすでに100万円というネットビジネスを始めた人なら誰もが目標にする月収7桁を達成していて、後に情報発信で月収8桁というとてつもない結果を出すことになる人です。
Gさんに初めてコンタクトしたのは、子供が産まれた一カ月後の1月でした。
ちょうどこの頃には、嫁さんが実家に帰って週末に嫁さんの実家に通う、みたいな生活をしていたので、子供が産まれてすぐでもネットビジネスが本格的に始められる環境になっていたわけです。
Gさんに初めて送ったメッセージは自分がどういった環境にいて、これからどうなりたいのか、そのあたりをお伝えしたのを覚えています。
それからは、Gさんと二人三脚でネットビジネスに取り組む日々が始まりました。
ネットビジネスといってもいろいろありますが、ぼくが取り組んだのは、友人Aからもすすめられたブログです。
子育てをしながら会社の仕事もして、それからブログの設定をしたり、記事を書いたり、といった日々が続きました。
嫁さんも出産してすぐはしばらく育休をとっていましたが、もともと外に出るのが好きな人なので、すぐに職場復帰し、共働きになりました。
なので、ぼく自身、家事もまったく気を抜けません。
そして、子育ては24時間体制で、ミルクを作って飲ませてあげなければいけないし、夜泣きもあるので、家で落ち着いてブログに取り組めるはずがありません。
そこでぼくは、5時半に出勤して始業時間の1時間前となる8時半まで会社の中でこっそり記事を書くことにしました。
通勤時間や会社の昼休憩はネタ探しやキーワードチェック、Gさんからたまに振ってもらうネタの記事作成などに使っていたので、気が休まる時間は寝るときだけ、みたいな生活がしばらく続きました。
特に子供が夜泣きすると、夜もほとんど寝られない中での出勤となるのでなかなかきつかったですね。
片方の目はずっと痙攣しているし、子供からもらう風邪は強力なので、ちょこちょこ体調を崩したりもしていました。
ただ、その時はとにかく早く結果を出したい一心でがむしゃらに記事を書いていましたね。
家族の理解を得ることの難しさ
ちなみに嫁さんは、ぼくと同じくサラリーマン生活が長く、ネットビジネスについてはまったく知らない人でした。
なので、ネットビジネスを始めたぼくに対しては、ぼくが友人Aに最初抱いたような感覚で見ていたと思います。
それがしかも子供が産まれたタイミングとくれば、やっぱり産後すぐの奥さんとしては不安になりますよね。
そのあたりは、生まれる前に十分嫁さんに話したつもりでしたが、実際に始めてみないとわからないもので、やっぱり嫁さんからの風当たりはかなり厳しいものがありました。
“産後うつ”なんて言葉もあるくらい、出産後の女性はホントにメンタル的に大変だし、それが子供に向いたり、旦那さんに向いたり、それこそ最悪は自分に向かったりするような時期。
家で少しでもブログに取り掛かろうものなら、
「自分のことばかりやってないで、家のこともやって!」
と言われてしまい、こっちも
「家族のためにやっているのになんでだよ!」
と言いたくなってしまい、かなり険悪な雰囲気になってしまうことも…
ある程度覚悟はしていましたが、下手したら嫁さんから「旦那が変な宗教にはまったんじゃないか?」くらいな感じに思われていたと思いますね。
とにかく家にいるタイミングでは、パソコンは触れない、たまの週末に師匠のGさんと通話する際も寝かしつけた子供を起こしてはいけない、という中でトイレか風呂場のどちらでやるか、という究極の選択(笑)を迫られ、風呂場から通話していました。
音声がこもったり、wifiの通信が切れたりとGさんにはいろいろとご迷惑おかけしました、、
そんな中自分を支えていたのは、
「とにかく早く結果を出したい。結果さえ出せば嫁さんの理解も得られるし、もう少し自由にブログに取り組めるようになるはず」
という思いでした。
ただ、会社の仕事もあるし、どうしても取り組むには限界があり、すぐには結果が出ませんでした。
結果が出ないのはもちろん辛いですが、それ以上に「結果を出さないと、嫁さんの我慢の限界が来てしまう」という焦りがメンタル的にきつかったですね。
取り組むブログのジャンルを変えるなど、いろいろ試行錯誤しながらようやく9月に売上が10万円を超え、取り組んできた成果が出始めます。
結果を具体的にかたちにして嫁さんの理解を得ようと、売上のほとんどをつぎ込みちょっとした電子レンジを買い、喜んでくれたので、ぼくも本当にプレッシャーから解放された瞬間でしたね。
少なくとも「旦那が怪しい商売の餌食になっている」そんな疑念はこのときに払しょくできました。
ネットビジネスで稼ぐ人の一つのバロメーターともいえる10万円を突破したのは嬉しかったですが、自分の中では100万円を達成してやっとネットビジネスのスタート地点に立てるという思いがあったので、その後もひたすら走り続けることになります。
そしてある日、書いた記事がちょっとした爆発を起こし、日給15万円という成果を達成することになります。
ただ、その成果が出たときは夜だったので、嫁さん、子供ともにもう寝た後。
ひとりパソコンに向かって、静かにガッツポーズというちょっと寂しいことになってしまいました…
その月は結局40万円の売上となり、家族でちょっと美味しいものを食べに行きました。
ただ、嫁さんの反応はいまいちで…
稼いだ分だけ代償もそれなりにあって、特に10万円を突破してからは、ブログで結果を出すことばかりに頭が行ってしまい、これまでよりも家事などを嫁さんに任せる部分が増えてしまっていたことが原因でした。
結果を出せば嫁さんの理解を得られる、というぼく自身の目算は崩れてしまい、むしろ「じゃあ、今までやってきたことは何だったんだ」となってしまい、自分としてもちょっとモチベーションが下がっていってしまったのがこの年の秋から冬にかけての時期でしたね。
そして、年明けには丸1年近くをかけた会社の大プロジェクトがせまっていて、仕事が忙しくなり、ブログの話もなかなか家庭内でゆっくりする余裕がなくなっていきました。
共有体験こそすべて
確かにブログでそれなりの結果は出しました。
それは第一の目標を達成したとも言えますが、なんのためにネットビジネスをやっているんだという本質に立ち返れば、もっと余裕のある生活を家族と一緒に過ごしたい、ということです。
なので、自分だけ自己満足をしていても、結局本来の目的を達成したとは言えず、
「なんのためにやっているんだろう…」
という葛藤からは全く逃れることができませんでした。
そんな状況の中で、会社の大プロジェクトが始まり、ぼくも否応なくその渦の中に巻き込まれ、月の半分が海外出張というような生活に入ります。
しかも、たまの週末も接待ゴルフで朝から晩までつぶれ、家族とゆっくりする時間もなかなかない中で、家族といる時間にブログをやるのははばかられるので、むしろブログについては、会話に出してはいけないというような雰囲気すら漂う状況。
悪い時は悪いことが重なるもので、そうした中、ぼくがブログで取り組んでいるジャンルの大きなネタを海外出張、しかもwifiが通じないアフリカにいるタイミングで逃してしまうという悔しい思いをしたりとか、しばらく悶々とするような状況が続きました。
所属しているコミュニティでは、チャットワークというツールを使って、日々コンタクトを取り合っているのですが、この時期はブログに向き合う気持ちの余裕があまりなかったので、100件近く未読メッセージがたまっているような状況。
正直なところ腐る寸前まで気持ち的に追い込まれるときもありました。
そんな状況の中、ぼくは、サイトの構造や広告位置の調整などいろんな情報をたどっては試して、それが効果が出ないことがわかると、また別のやり方をためしてみたり…
ただ、こういったことってあくまで周辺のテクニックの話であって、記事を書くという本質がなっていてこそなので、やっぱりその本質から逃れていたんだと思います。
とはいえ、そういった地道な取り組みが少しずつ奏功しはじめて、アクセスがじりじりと戻り始めます。
それと同時にぼくは家族の理解を得えるために地道な説明を続けました。
ただ、がむしゃらに取り組むのではなく、家族との時間をちゃんと取ることだったり、ネットビジネスの状況を詳しく説明したり、子育てしながらブログに取り組んでいる先輩ママさんの紹介をしたり、とにかくコミュニケーションをまめに取るようにしました。
すると、子育てに少しづつ慣れてきた嫁さんも気持ちの余裕ができてきたのか、ぼくの取り組みに少しずつ理解をしてくれるようになっていきました。
そんな状況の中、年末に向けて仕込んだあるタイミングで記事が大爆発し、リアルタイム5000を超えるという瞬間が来ました。
この瞬間、以前であれば、自分一人でこっそり迎えていたものをその時は年末ということもあり、嫁さん、子供と一緒にリアルタイムが600という過去最高を超えたあたりから一緒にパソコンの画面に釘付けなり、5000を超える瞬間を一緒に見届けることができました。
自分一人だけでなく、家族を巻き込んで楽しむ瞬間というのは何者にも代えがたく、ネットビジネスに取り組んでいて一番最高の瞬間でしたね。
嫁さんも
「ネットビジネスって、頑張ればこんな興奮できる瞬間が来るんだね!」
と楽しんでくれました。
その時に自分がネットビジネスに取り組むようになった原点をはっきりと思いだし、現状を打開するための道筋がおぼろげながら見えましたね。
この共有体験をしたことで、嫁さんのネットビジネスに対する理解もさらに変わりました。
ぼくが食事中にネットビジネスの話をしても、嫌な顔ひとつせず聞いてくれるし、ぼく自身がどうやってブログに取り組んでいるのか、そこに興味を持ってくれるようになりました。
それは、ネットビジネスで結果を出せば家族にとってプラスになるということが現実感を伴って、嫁さんも理解できたからだと思います。
さらになんと、嫁さんが
「ブログをやってみたい!」
ということを自分から言い出してくれたんです。
ネットビジネスを始めたころからすれば、ホントに信じられないことでしたね。
嫁さんがネットビジネスに取り組んでくれれば、家族で進むべき新しい道がまた拓けてきます。
これからは家庭内で一人ではなく、嫁さんと一緒に取り組んでいける、それはこれ以上ない心強いことだし、そういう状況にできたことで、また夫婦で乗り越えるべき山を一つ上ったと実感しています。
ただ、山は上り始めたばかり。
これからも大変な状況はいくらでも来ると思いますが、前にお伝えしたように不妊治療という先の見えない経験をしているという強みがぼくたち夫婦にはあります。
ですので、まずは嫁さんも自力で稼げるようになる段階をとりあえず目指していきたいですね。
ネットビジネスを通して学んだこと
ぼく自身が所属しているコミュニティのメンバーをみても、ネットビジネスに取り組んでいる人の環境は本当に様々です。
ぼくみたいなサラリーマンをしながらやっている人もいるし、子育てしながらやっているママもいるし、会社を辞めて退路を断って取り組んでいる人もいます。
ぼくは自分が経験していないことは他の人に語れる資格はないと思っていて、その意味でぼくはサラリーマン+子育てをしながらネットビジネスで多少の結果を残してきた自負があります。
ぼくは子供を持つという責任が生じて、そのタイミングでいい出会いに恵まれた、だからここまで来られましたが、それはぼくが特殊な人間ということではなく、むしろそれまではどこにでもいるただのサラリーマンでした。
定年まで同じ会社で働き、多少の蓄えを子供に託して、親としては多少の老後を楽しんで人生終わり、それで十分だと思っていました。というか、それが当たり前という発想の中でしか生きてきていませんでした。
ところが、ネットビジネスという全くこれまで知らなかった世界を知ったことで、いまはそれだけでなく、いろんな着地点がある思えるようになりました。
定年まで勤めなくても、会社+複業に取り組み、その中で仕組みを作り上げることでき、それが収益を上げることができるような状況を作ることができれば、早めにリタイアして自分がしたいことをもっと楽しむことができるんじゃないかと思っています。
ぼくと嫁さんは、不妊治療で行き詰ったときにお互い一緒に息抜きできるものをみつけようとした結果、実はゴルフという共通の趣味を持つようになっていたんです。
不妊治療って本当にそればっかりにとらわれると、夫婦の会話もそれだけになって、本当に煮詰まってきます。
そうならないように、共通の楽しめる話題を見つけることで乗り越えてきました。
そうして見つけた共通の趣味を体力のあるうちにできるだけ早く再開したい、そのためには土日だけではなく、平日も自由に休めるような環境に自分を置かないと子供のこともあるので、難しいと思っています。
なので、そのような環境に自分たちを置くためにもいま頑張らなければいけないと気持ちを新たにしています。
幸いにも師匠のGさんやさらにその師匠のMさんをはじめ、ネットビジネスで結果を出した大先輩の声を身近に聞くチャンスがわりとあるので、ぼくは成功した方のいろんなパターンを知る機会に恵まれています。
その中には、会社員の副業で成功したという方もたくさんいます。
ただ、管理職でネットビジネスに取り組み、さらに子育てもやって、というパターンの方はなかなかいないと思っています。
副業解禁の動きがこれからさらに広がるとみられる中、サラリーマンで副業、しかもネットビジネスに参入してくる方は確実に増えてくるでしょう。
それは、プレーヤーではなく、管理職でも同様です。いや、むしろ管理職こそ副業すべきなんて意見もあります。
ぼくはそんな働き方の過渡期の中で、自分がひとつのモデルパターンを示せるような、そんな人間になりたいと思っています。
そのためにも、これからブログや情報発信で成果を出し続け、そのノウハウを多くの方に伝えていきたい、それが目指す近い将来の自分の姿です。
その伝え方はいろいろあると思いますが、このブログをご覧になってぼくに興味を持っていただいた方とは何らかのかたちでつながる手段をこれから作っていきたいと思っています。
ただのサラリーマンがここまで自分の将来に対する考え方を変えられる、そんな金銭面だけではない夢を実現できるのがネットビジネスです。
ぼくを通してネットビジネスを知る方が増え、その方がぼくと同じように自身の可能性を広げられる、そんなきっかけになれたら、幸いです。
ひろはる